
ダウナーな時は、ダウナーなものを読むといい。
デビュー作「慟哭」から一貫して、救いようのない鬱小説を世に出し続けている貫井先生の作品は、私の抗うつ薬です。
とことん堕としてくれるので、読み終わったときにはよりいっそうの鬱が広がるか、「あ、私はまだ頑張れる」のどちらかになります。(究極の二択)
堕ちてる時は、とことん堕ちたいどえむです。より子です。
(殆ど)期待を裏切らない貫井先生は、作者買いしている一人です。
久しぶりに読んだら、大当たり。
アッパレなストーリー展開に、ドキドキと鼓動が脈打ち興奮しました。何の受賞もしていない作品だけど、これはいい。
とってもいい。
予定調和に飽きた人にはぜひ、読んで欲しい。
「わが心の底の光」貫井徳郎
母は死に、父は人を殺した―。
五歳で伯父夫婦に引き取られた峰岸晄は、中華料理店を手伝いながら豊かさとは無縁の少年時代を過ごしていた。
心に鍵をかけ、他者との接触を拒み続ける晄を待ち受けていたのは、学校での陰湿ないじめ。
だが唯一、同級生の木下怜菜だけは救いの手を差し伸べようとする。
数年後、社会に出た晄は、まったき孤独の中で遂にある計画を実行へと移していく。
生きることに強い執着を抱きながらも、普通の人生を捨てた晄。
その真っ暗な心の底に差す一筋の光とは!?衝撃のラストが心を抉る傑作長編。
はい、出た。衝撃のラスト。
あらすじで出ちゃってるやん、衝撃って。
でもね、いいよ。このラスト。
読みに読みまくって、どんでん返しのいろんなパターンを知っている私でも、唸るラスト。
これは、いい。堪らない。
そして、貫井徳郎作品としては、何一つ裏切っていない。慟哭。
慟哭しかない。
何がいいかネタバレしないで説明するよ。
例えば半沢直樹で有名になった池井戸潤の作品は、大体勧善懲悪だ。
悪いものは倒され、主人公がほぼほぼ勝つ。
すっきり爽快。めでたしめでたし。
もっと大まかにいうと、推理小説は大体犯人が解明される。
何故、殺されたかがわかる。無事に謎は解けるのである。
じゃぁ貫井の作品は、っていうと大体において鬱になる。
やるせない慟哭に襲われる。
そこに希望があるかどうかは、作品によって違う。
だから、とりあえず、タイトルからして、救われそうだよね。
光があるんだもの。
端的に言うと、この作品は主人公の復讐劇だ。
そして、復讐劇の予定調和は、復讐が実現されるかどうかだと思う。
私たちは、結末の想像がついても読むことから抗えない。
それは、「どうやって」結末に至るかを楽しみたいからだ。
だから「どうやって」復讐したのかを楽しむものだと思っていた。
このまま終わっても、流石の貫井。そこまでひねりは無かったけど面白かったってなると思うの。
だのに、違うんだよ。
予定調和のまま終わっても十分に楽しめたのに、覆してくる。
予定調和をぶっ壊す。
なんだこれ。予定調和ってなんだっけ。
読者置いてきぼりの怒涛のラスト。ふざけんな。
先に言っておくけれど、賛否両論あるでしょう。
評価も低いであろう。
だがしかし、私はそれでもこの作品を推したい。
なぜなら、「衝撃のラスト」がありふれている世の中だからこそ、正しい「衝撃のラスト」だったからである。
本日、おしまい。